旅するセクシー
きょーかです٩( ‘ω’ )و
過去pic大量発掘で
いろんなことを思い出しちゃってるきょーかだよ。
写真のときは
10年以上前、
もう15年くらい前になるのかな???
SMクラブいたときの画像。
この時は
他のお仕事をしながらSMしていて
忙しかったことや
家族との確執があり
食事を摂る時間がないなあ、なんて思っているあいだに
摂食障害のような状態になったとき。
いつのまにやら
食べようとして食べても気持ち悪くなっちゃうようになって
食べること自体が怖くなっちゃって
食べられなくなっちゃったの!!!
きょーかは体重が50kg前後が
自分がいろいろ活動するのにちょうど良い重さなんだけど
このときは
30kg台に乗ってしまってね、
自分にとっては軽過ぎちゃって
ふわふわしてて
すごく気持ち悪かったよね。
当時は
ただ、
痩せてきちゃったなー…(・Д・)
なんて思ってただけだったで
自分がどれくらい細いか、
自分がどんな状態なのか、っていうことに対しての
自覚って
まるでなかったよね。
今にして写真を見ると
病的な…という印象をもってしまうね。
当時
よく飲みに行っていたフェティッシュバーで
手錠販売をしている(ってどーゆーこと笑!?)のアレちゃんの
足用手錠(足錠???)で遊んでた時の画像
そもそも
痩せなくっちゃ
食事制限しなくっちゃ
とかさ
そういう意識ってないから
食べたいときに
食べたいものを
食べたいだけ食べる
っていう感じに
自由で健康に生きているので
このときは
なんだか辛かった。
さて
ここまで書いて来て
どっちの方向で進めようか、
いろいろな選択肢があり
食べることやエロスに関する罪悪感
っていう方向性から
現代の集団無意識について書くこともできるし
私自身の経験から書くこともできるなあ…
ということで
経験から。
私は
小さい頃から夫婦喧嘩も多く
怒鳴り声が朝も深夜も関係なく飛び交い
時には刃物が振り回されるような環境で育ち
なにをやってもほめられず
認められず
やりたいことも自由にやらせてもらえない
そんな中で育ち
育つ過程で
自分の人生は自分で創ろう
そう決めて
その様々な決断の中に
SMも入っているんだよね。
あの時はボンデージを着たい、
気持ちいいことしてみたーい、って
それで探して見つけたお店がM女店で(笑)
どっちかっていうと
はだかんぼで過ごしているわけなので
ボンデージを着ることはデフォルトではまるでなく(笑)
自前でコスチューム買ってイベント行って遊んたり
プレイで着たりしたものです。
お店や内容を自分で選び自分で決めて
そして所属し
プレイをしていたわけで
もちろん
楽しいんだよね。
すごい楽しかった。
SMクラブで
最終的には元気を取り戻せたから
合っていたんだとは思う。
SMクラブでプレイをしているなかで
遊びに来るお客様に
もっと元気をあげたいなーって思ったから
気持ちいい場所へ行って
元気をチャージしたり
デトックスのようなことを
がんがんしていたんだよ。
ココロの中にあった
いらない思いとか恐怖心とか
そういうものをどんどん大掃除していった。
そうしたらね
やればやっただけ
ココロの自由が増えて行って
思ったことがすぐ叶うような
自分自身の通りがすごく良くなってきてね
そして今
あの時の写真を見ると
思う。
すごくがんばっていたんだな、って。
ココロも楽しいし
表面的にも現実的にも
確実な結果や手応えにもつながっていて
すごく充実していたと思う。
ところが最近になって
ココロに眠っていた
淀みが浮上してきて
もうまさになくなっていくよ、っていうところで気づかされたことは
なんだかんだと
誰かのため、人のため、
つまりそれの大元は
家族のため
両親を喜ばせようと思って
あれこれがんばって
時に自分に犠牲を払わせていたんだなー、っていうこと
それをしみじみ思う。
いつもけんかばかりしている両親を
ちょっとでも楽しい気分にしたいな、って
幸せを感じてもらいたいな、っていう願いから
形成されている自分は
お仕事とか
やることも
どこかでそういう思いから
選んできたところがあったんじゃないか。
両親に
「ありがとう」って
言われてみたかったんだよね。
「生まれてくれてありがとう」って。
父親からは
「生まれてこなければよかったんだ」とか
「二度と顔を見せるな」って言われたり
母親からは
「きち○い」だのなんだのと
なにを言っても否定される一方だったので。
それでも
両親というものは血が繋がっていて
どこかで
喜んでもらいたかったんだよね、わたしは。
それによって
「生きていていいよ」って
許可だせる、って
思っていたんだろうな。
生きるために必死で
喜ばせることを身につけ
でも
やってもやっても
どこまでいっても
欲しい言葉は得られなくってね、
もう無気力全開。
そういう自分の思いに
気づいたんだよね。
そして
誰かを喜ばせるために何かをすると
喜ばれないことに対しての一喜一憂が大きくなりすぎることがあって
そんなときっていうのは
自分のココロの満足度が
誰かに委ねられちゃっている時なんだな、っていうことを
感じます。
自分がそれを選んだのに
喜ばれなかったりしたら
「なんだよ、せっかくやってあげたのに」って
人のせい。
自分がそれをしたくてしたんじゃないの??
喜んでよ!!!
っていうのは
ある種の押し付けなんだよね。
相手がどう感じようと
それは自由なんだよね、
相手の中にある。
喜ばれないならもーいーや、って
それって拗ねてるだけだよね。
でもこの気持ちって
「こうはなりたくない」って
だから自分で人生を決めて創ろう、って
思えた原因の
母親の態度とまるで同じだった。
それが
最終的には
自分の人生の中心を
外側へもっていっていたんだな、って。
そんなことに気づいたの。
疲れるよね。
こんなの続けてたら。
誰かが喜ぶことは
嬉しい。
誰かを気持ち良くすることは
楽しいし
私も気持ちいい。
でも、
反応なくっちゃ気持ち良くない、っていうところまでいってしまうと
悲劇になる。
喜ばれることは嬉しいけれど
それがために
自分が苦悩するのは
実は
相手への期待なんだな、って。
SMクラブの時は
楽しくって
あれこれ毎日違うことができるし
夢中でやっていたけれど
中には
結果に対してしがみつきすぎて
苦しくなったときもあったものね。
もちろん
その時も
結果はどうであれ
目の前の人といっぱい楽しむ
今を
全幅の愛で感じて楽しもう、って
初心を思い出したら
まったく気軽なココロを取り戻して
楽チンになったんだけどね。
今月入って
私は
自分のココロの本当の根っこにあった
喜ばれる対象(両親)から離れて
本当に自分の人生を
自分のため、
自分の気持ち良さ
自分の喜びから
始められる準備ができそうです。
喜ばれるのは楽しい。
でも
それがなくても楽しい。
だって
自分が
楽しいと思えること
気持ちいいと感じることをしているのだから
外側の反応を気にする必要なんて
ひとつもなかったんだ、って
そういうことだね。
楽しもう
命を謳歌できる時間は
限られているから
そして
あの頃のわたし
今に至るすべての時間軸のわたし
よくがんばってきたねー
肉体もココロも時間も使い切って
いっぱい尽くしてきたね
今まで本当を見てあげなくって
全部を後回しにしちゃってて
本当にごめんね。
ありがとう
本当にありがとう
あなたがいなくちゃ
わたしの人生は始まらないんだ
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2 comments
響香さん生まれてきてくれてありがとうございます!
そして出会えたことに心から感謝致しますm(_ _)m
何時も何時も楽しい時間を過ごせて嬉しいです!
時には勇気を貰い、時には元気を貰い、時には癒しを貰い、物凄く助かっています!
又お会いしましたらオモチャにして下さいネッ!笑
Nちゃま♡
あらー
ありがとうー!!
またおもちゃにして
あっちこっちいじくりまわしちゃうねー(笑)